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ザック・バラン第8回:かつての破壊魔

僕が作曲を始めたのは9年前くらいで、その頃から一貫して曲自体は作り続けられているんだけど、初期には大きな悩みがあった。「暗い曲しかつくれない」ということだ。

どんなに明るくしようとしても、なんか誰かが泣いてるような音になる。
どんなにハッピーな歌詞を書こうとしても、いつの間にか一人二人死んでる。

僕がそういうダークな音楽だけをつくりたい人ならそれはそれでいいんだろうが、もっとバリエーションに富んだ作品をつくりたいとずっと思っていた。

当時を振り返ってみると、僕はすごい破壊魔だったと思う。他人のものは壊さないけど、苛々したり悲しみにくれたりしている時、20歳ぐらいの僕は自分が取った賞の景品や資格の証明書をズタズタにしていた。

僕はクマのぬいぐるみを大切にしていて、それはもう会話もするレベルなんだけど、15人くらいのクマのうち自分で購入したのは一人だけだ。つまり、ほかは全員誰かがくれたクマたち。

自分でクマを買わない理由がまさに破壊衝動だった。ぬいぐるみに命を感じてしまう僕は、万が一自分で買ったクマをズタボロにしてしまった時、もう生きてはいけないほどに後悔すると思う。殺人と同じレベル。

一方、ひとからもらったものは僕は絶対に壊すことはなかった。誕生日とか、お土産とか、そういったものは壊さなかったけど、自力で買ったものや取得した資格の書類はとにかくぶっ壊しまくってた。

それがやっと落ち着いたのが、僕が思い通りに曲を作れるようになった頃だ。22歳くらいかな。だからその時に自分でクマを買った。

それまでの書き殴りのような創作スタイルから、意識して頭を使って楽曲をつくるスタイルに変えた。最初からうまくいったわけじゃなく、ようやくその取り組みが実を結んだのが2018年だと思う。

イタリア語で"with"を意味する『con』というアルバムは、僕の作品群の中ではずば抜けて透き通っている。曲を単純に「明るいか暗いか」で分けること自体がそもそも好きじゃないけど、もしそれで分類するなら『con』は明るい作品だと思う。

暗い曲もコントロールしてつくるようになった。歌詞を書く時も、たとえ内容は主観的であっても客観的に見つめながら頭を捻らせて書いている。

インストアルバムでも工夫をするようになった。古典と呼ばれる和歌、特に宮廷文化で栄えたものの多くは「風景+心情」の形を採っていることが多いのは、なんとなくイメージできると思う。

たとえば上の句で桜が散る風景を表現して、下の句で未亡人である自分の心を述べるみたいな。

2018年に放送大学で和歌について詳しく学ぶ機会があった僕は、その手法をインストアルバムに取り入れてみた。それが『Stagioni』というアルバムで、イタリア語で「季節」、「四季」を意味する。

四季がテーマなら4曲で終わるだろう。しかし、秋から始めて夏で終わる4曲に加え、僕の季節というものに対する考えを表した「Ambiguita(曖昧)」という曲を最後に配置した。

様々な季節を振り返ったうえで、それらが曖昧であるという僕の心情や主張を最後に述べた形だ。

このように作品をコントロールできるようになってからは、破壊衝動は落ち着いた。正確にいうとその衝動を作品にうまく昇華できているんだと思う。

いろんな創作スタイルがあるけど、僕はこういう風に頭を使いまくって作品づくりをしたい。というかそうじゃないと、また破壊魔が復活する可能性がある。

創作は破壊とよく言うけど、僕の場合は字面通りで我ながらなんかちょっと笑えてくる。


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