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音楽讃美第6回:鬼束ちひろ『DOROTHY』

※このカテゴリー「音楽讃美」は、世間でいうところの音楽レビューになるのでしょうが、僕としては自分が聴く音楽は全部最高に自分が好きなものばかりなので、星がいくつなどという「評価」はしません。とにかく自分が触れている音楽作品を讃美しようというカテゴリーです。基本的にネタバレを含むので、ご注意ください。それでは、どうぞお付き合いください。


今回の「音楽讃美」では、鬼束ちひろのターニングポイントとなったと言える2009年のアルバム『DOROTHY』をご紹介します。


それまでの鬼束ちひろは激しい思いを吐露するように歌詞を書き、曲を作っていましたが、前作の『LAS VEGAS』については「ずっと歌える曲をつくりたい」という意思が生まれたことを語っており、『DOROTHY』はまさに「ずっと歌える楽曲」の結晶体と位置づけられるアルバムです。


1曲目のドラムとボーカルだけで歌われる「A WHITE WHALE IN MY QUIET DREAM」から「陽炎」はストーリーの幕開けを感じさせ、「X」で高揚した感情の行く先は「ストーリーテラー」という楽曲で客観的に方向を示されます。


「ストーリーテラー」はこのアルバムの方向性だけでなく、鬼束ちひろの生き方が凝縮された一曲とも感じられます。


ポップな「STEAL THIS HEART」やアップテンポで爽快感の強い「I Pass By」は、いわゆる「鬼束ちひろ像」とは離れた楽曲ですが、同時に鬼束ちひろが本当にやりたい音楽の一部でもあります。このアルバム以降、しばらく鬼束ちひろはネット上でも話題になった「変貌」を世間に見せつけることになり、楽曲も今までの「鬼束ちひろ像」から遠ざかっていきます。


『DOROTHY』がアルバム全体で一つのストーリーとしたら、この2曲は「変貌」の最中の鬼束ちひろを表しているとも言えるかもしれません。


続いてセンチメンタルな「帰り路をなくして」が流れ、アルバムは佳境へ向かいます。この楽曲の特筆すべき点は、演奏時間が7分近くあるということです。鬼束ちひろのそれまでの楽曲を振り返るとかなり長い方ですし、5分程度で収まることが多いJ-POPとしても異質さを感じさせますが、このアルバムには6分近くの「蛍」、7分を超える「VENUS」も含まれています。


実は『DOROTHT』はとんでもない名盤でありながら、鬼束ちひろの体調などもあり、プロモーション活動が皆無のアルバムとなりました。悲観的にとらえれば「もったいない」となりますが、ポジティブにとらえれば『DOROTHY』は商業的なプレッシャーからかなり解放されています。それは楽曲の多様性、サウンドの豊かさ、先述した楽曲の演奏時間に現れているでしょう。


さて、「帰り路をなくして」の次に収録されている「Losing a distance」は、最新アルバム『syndrome』の「碧の方舟」へ続く作品のように感じられる「あなたという海に溺れること」を扱っています。


「Losing a distance」が「あなたという海」に愛着を感じつつも、恐れている状態としたら、「碧の方舟」は全てを受け入れてその海が自分の終の地でも構わないという楽曲です。


意図的ではないと思いますが、『DOROTHY』と『syndrome』を連続で聴くとこれまたストーリー性を感じられるので、「月光」以降の鬼束ちひろをまだ聴いてない方にはぜひこの2作品をお勧めします。


アルバムも終盤にさしかかったあたりでファンの間でも評価の高い「ラストメロディー」、珠玉の名曲「蛍」が流れます。「蛍」に関してはまた単独の記事として取り上げます。


最後の楽曲「VENUS」は、それまでの鬼束ちひろからは想像できなかった「愛への決意」が歌われます。真実に辿り着いた時、鬼束ちひろは心を燃やし、「愛を連れることを選ぶ」と歌い上げます。


このアルバム以降、鬼束ちひろのライブでも活躍する坂本昌之の豊かなストリングスアレンジが非常に美しく、フィナーレにふさわしい一曲です。2018年のライブで鬼束ちひろが大阪で起こった震災に言及したうえで「VENUS」を歌ったというストーリーも印象的です。


プロモーション活動が無かったため、ファン以外は知ってる曲がほとんどない『DOROTHY』ですが、その後のライブ・ツアーではこのアルバムから多く歌われていますし、ファンからの評価も非常に高い名盤です。


原点回帰の要素も含む『syndrome』に比べると、『DOROTHY』は新しい鬼束ちひろという印象なので最初は聴きづらいと思うかもしませんが、ぜひ聴き込んでみてください。きっと鬼束ちひろの用意した「ストーリー」が語るものが伝わってきます。


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