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音楽讃美第1回:中島みゆき『夜会VOL.5 花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に 』

※このカテゴリー「音楽讃美」は、世間でいうところの音楽レビューになるのでしょうが、僕としては自分が聴く音楽は全部最高に自分が好きなものばかりなので、星がいくつなどという「評価」はしません。とにかく自分が触れている音楽作品を讃美しようというカテゴリーです。基本的にネタバレを含むので、ご注意ください。それでは、どうぞお付き合いください。


さて、音楽讃美、初回は僕の大好きな中島みゆきの「言葉の実験劇場」である「夜会」の5作品目を取り上げます。タイトルが長いので、以下この作品名は『花の色は』と表記します。


夜会についてご存じでない方は詳しくは調べていただきたいのですが、簡単に言うとストーリーを取り入れた中島みゆきのライブです。といっても、ここ最近はほとんどオペラというか、舞台色がかなり強くなっていますが、一応コンセプトは「言葉の実験劇場」で、楽曲がストーリーに乗せると単独で聞いていた時とはまた違う雰囲気を帯びる趣が夜会にはあります。


夜会の中でもより「夜会らしい」のがこの『花の色は』だと僕は思っていますが、同時に超難解作品とも言えるでしょう。


『花の色は』では、「待つこと」をテーマに四季に応じて4人の女性を中島みゆきが演じます。途中から夜会は「二隻の舟」を除いて書き下ろしになりましたが、この回では昔の曲がふんだんに使われており、一方で各楽曲の録音当時とは違った歌い方、表現の仕方を採っているという点でとても夜会らしいです。


4人の女性が出てくる場面は具体的でとても分かりやすいのですが、この『花の色は』を超難解作品にしているのは最後の章、「時間泥棒」です。しかし、よくセリフを聴くとこの夜会全体の意図や「時間泥棒」の役割が分かってきます。


女性たちは結局様々な事情で「待つ」ばかりで、「会う」ことができませんでした。一方、時間泥棒は「待つ」と「待たない」の間にある時間を奪いに来たと言っています。


そして、その「時間」を取っ払ったら何が残るか。それは「会うことだけ」だと。つまり、時間泥棒は待っても待っても報われなかった4人の女性の「時間」を奪い、「会うことだけ」に導くある種のストーリーテラー的な役割を持っていると言えます。


ただ、普通のストーリーテラーと時間泥棒の決定的な差が、時間泥棒は4人の女性と同じ目線であるということです。


時間泥棒はストーリーテラー、つまり冷静な語り手でありながら、彼女の歌う歌は全て生々しく人生を表現しており、強く恋い焦がれる「夜曲」へと繋がります。また、時間泥棒が「くらやみ乙女」の後に言うセリフはかなり難解ですが、ここと水泳選手のポーズに中島みゆきの表現の本質が出ています。


かなり簡単に言うと、「恋い焦がれるなら今すぐ会いにいく気概で恋い焦がれよ。また、それを歌にするなら、高みの見物のように歌うな」といったところでしょうか。


この時点でお気づきになられた方もいるかもしれませんが、『花の色は』のタイトルである小野小町の歌、夜会VOL.5のテーマはこの歌ではなく、むしろこの歌を詠んだ小野小町への挑戦とも言えます。


水泳選手の表現では「時間を測る人はいつも水の中にいない」と時間泥棒が述べています。他にも「持ち上げるのも蹴落とすのも他人」、「伝説はその当事者に口出しを許さない」といった旨のセリフから、「当事者」が不在な表現などとんでもないといった中島みゆきの主張が見て取れるのではないでしょうか。


時間泥棒もまた、月に恋い焦がれ、最後には狂気的ともいえる情熱で月に手を伸ばしてそこに向かいます。


いろんな解釈ができますが、『花の色は』の「時間泥棒」の章は、難解でありながらもこの夜会がどういうテーマであるのかということを強く主張しており、とても美しく力強いです。


夜会の中でもかなり長時間の講演で3時間近くありますが、ぜひヘッドホンで細かいセリフも聴きながら楽しむことをお勧めします。



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